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2003-11-01 (土) [長年日記]

[映画] アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション

アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション [DVD](ピーター・シェーファー) 一言で言えば「豪華」。これに尽きると思う。オペラのシーン、宮中のシーン、役者の演技、音楽、衣装、どれをとっても超超超一流で、言うことナシ(英語だというのはもう無視しよう)。まさに大作。素晴らしいっす。ただ、大作が故の功罪を持っていて、いくつか気になる点があった。

まず、モーツァルト像があまりにもおかしいというのが気に入らない。本人がどういった人間だったのか知る由もないが、大作で使うにはあまりにもエキセントリックすぎたのではないかと思う。例えば劇中、モーツァルトは「政治は嫌い」などと何の考えもなしに(つまりバカみたいに)発言するが、実際はんなこたぁーあるはずもなく、あの時点で『フィガロの結婚』を選ぶのは単に「音楽の天才」以外の何かが彼にはあったはずで、それが描かれていないのは非常に残念。もちろんサリエリ側からの視点からだと、そういう「泥臭い」部分は見えないんだろう。だとするとタイトルは「アントニオ・サリエリ」とでもすればよかったのではないか。この作品にモーツァルトは全く描かれていないんだから。

レビューなどを読むと、この作品を見て「モーツァルト像」が作られた人が意外に多いようなのだ。それだけになんだか嫌ぁーな感じがした。本当はモーツァルトの音楽を聴いて、歴史を知って、自分なりのモーツァルト像を作って、それからこの作品を見て、「こういうモーツァルトがいても面白いな」という風に見るのが正しい。子供は絶対に見ちゃダメな映画だと思うなー。これがB級映画だったらいざ知らず。大作だもん。有害だと思う。

この点、『マドモアゼル・モーツァルト』という演劇は成功している。モーツァルト像がエキセントリックを飛び越して、ぜってーありえねーという風になっちゃってるもの。これなら安心。

それから、サリエリの苦悩の本質があまり描かれていないという点も気になる。もちろん台詞や映像では、ちゃんとさんざん苦悩している様子が描かれている。だけど本質は、冒頭の神父のシーンのみだと思う。「この曲は知っている?」「知りません」「私の曲だ」「ではこれは?」「知ってますよ!」「これは私のではない」という件。これこそがサリエリの苦悩なのだ。

『フィガロの結婚』を見て皇帝はあくびをする。『ドン・ジョバンニ』を見てサリエリは「私だけが理解している」と言う。違う、違うんだ。モーツァルトの曲こそが、人々の心に残ったの! サリエリのそれは興行的には成功するけど人々の心に残らなかったのッ! そこが問題なの! 逆なのだーーー。作品の中では、モーツァルトの良さは音楽を勤勉にやってきた私サリエリだけが分かっている、というふうな描き方をされている。んなこたぁねーよ。じゃあ、冒頭の神父の件は何だったんだよ。

人々の心をつかんだという意味で、『魔笛』の観客の評判シーンをもっとたっぷりとるべきだったんじゃないかなーと思う。もしくは『フィガロの結婚』が実際は大評判だったこととか。オペラを始めてから坂道を転がっていた、みたいに描かれているのは残念な感じ。

もちろんこのサリエリ像も「作られたもの」であり、誤ったイメージを植え付けるのには変わりは無いんだけど、ここはまあ、サリエリが主人公ですし、許容の脚色のように思います。実際は、自傷好意なんてしてないよね。たぶん。

つーか、このDVD安いですね。買ったほうがいいかもしれません。実際、yomoyomoさんはご購入されているようです。ぼくは今回レンタルで済ませましたけれどど、お金に余裕があればいずれ買いたいと思います*1

追記(いいわすれ):

自分は下品だけど、自分の作り出す音楽は美しい、というような台詞(正確には覚えていない)をモーツァルトが言うシーンがあるが、そこは感動したなあ。たわいも無いシーンだっただけに余計に。『フィガロの結婚』を作る場面だったかな。

*1 今は激しく貧乏。

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1 yomoyomo (2003-11-01 (土) 16:07)

確かにこのストーリーを「史実」と思っている人も多いようですし。ただモーツァルトは無縁仏状態(とは言わんか。つまり、映画と同じように)で葬られたというのも確かなんだけど。